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グリーンパル・カフェ Vol.13  report 

日時 2006年6月30日(金曜日) 19:00〜21:00
講師 大塚敦子
題目   「平和の種をまく−ボスニアの少女エミナ−」

誰も戦争などしたくなかったのに、気づいたら始まっていたというボスニア。 戦後10年、敵同士だった民族が、緑の農園〜コミュニティガーデン〜で、 再び心を通わせあうようになりました。

写真:『平和の種をまく』  ― ボスニアの少女エミナ ― (大塚敦子:写真・文、 岩崎書店)


■■講演内容報告■■

■取材までの経緯

今回、講演をしてくださった大塚敦子さんは、10年ほど前までは戦場を取材していたそうです。戦争が起こっているとき、その地域はメディアなどで世界中に報道され、注目を集めます。しかし、戦争が終わると、その地域のことはすぐに忘れ去られてしまいます。メディアのスポットライトから外れた後、人々はどうやって暮らしているのだろう、どのように平和を取り戻そうとしているのだろう。かつて自分もメディアの一員として、スポットライトの当たる地域から地域へと渡り歩いたけれど、戦争の後、人々がどう生きていくのか知りたい、とずっと思っていた。それで、2003年にシカゴで開催されたコミュニティ・ガーデンの国際会議でボスニアの人に出会い、平和のためのコミュニティ・ガーデン・プロジェクトを実践している、と聞いたときは、「これだ!」と思ったのだそうです。
かつて戦争報道にたずさわり、過去10年間は自然や動物と人との絆がもたらす癒しを取材してきた大塚さんにとって、このプロジェクトは、まさに両者がつながるものでした。これこそ本当にやりたかったテーマだと思い、取材に取りかかったそうです。

■ボスニア・ヘルツェゴビナについての話

1992年から95年にかけ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは3年半にわたる戦争がありました。ボスニアは、旧ユーゴスラビア連邦の一員だったのですが、連邦が崩壊するのに伴い、それまで平和に共存していたボスニアク(ボスニアに住むイスラム系の人たち)、セルビア人、クロアチア人という3つの民族が、独立をめぐって争いになったのです。首都のサラエボを写真で遠目から見ると、とても美しい町並みです。しかし、一歩街中に入ると、戦争で破壊されたビルが所々にあったり、人の家の庭先に地雷の看板があったり(戦後10年たった今でも、地雷がどこにあるか調べて看板を付けるのがせいいっぱいで、大部分がまだ埋まったままだといいます)、あまりに死者が多いためにサッカー場をつぶして作った集団墓地があったりと、戦争の傷跡はあちこちに残っています。この戦争では、25万以上の人が亡くなり、200万以上の人が家を失って難民になったといわれています。

 国際社会の仲介により戦争は終わりましたが、ボスニアには、一つの国の中に2つの政体ができてしまいました。一つは、イスラム教徒のボスニアクとクロアチア人の連合国、もう一つはセルビア人共和国です。そのために、民族による住み分けが起こり、検問所があるわけではないけれど、見えない境界線ができてしまいました。

■コミュニティ・ガーデンについて

 戦後民族間の交流が少なくなってしまったボスニアで、あるアメリカの団体が、異なる民族の人々が安心して交流できる場としてコミュニティ・ガーデンを作りました。そこに区画をもらう条件は、まず生活が貧しいということがあります。貧しい人が自分や家族を支えていくために、野菜を育てる区画を提供するわけです。また、とても大切なのは、出身民族のバランス(戦前と同じような人口比になるように)を調節していることです。そうやって、異なる民族の人たちが混じるようにしているそうです。参加者は、それぞれ自分たちの区画はありますが、共同作業する機会もあります。

 ナチス以来ヨーロッパ最悪の虐殺事件といわれる「スレブレ二ッツァの虐殺」で夫を殺された人も、ガーデンにいる時だけはいつもと違う笑顔を見せたり、セルビア人とボスニアクが仲良しだったりと、民族を越えて“人と人が出会う場所”になっています。

 大塚さんがボスニアで一番大切だと感じたことは子供たちの交流だといいます。大人たちは3つの民族が共存していた戦前を知っていますが、子どもたちはその時代を知りません。でも、このガーデンで子供たちは、民族なんて関係なく自然に仲良くなっています。

 このガーデンで働く人たちの中には、平和構築セミナーなどに参加したことのある人たちもいますが、それらの活動は、家に帰ってしまうとまた元に戻ってしまう。でも、コミュニティ・ガーデンは、自分たちが食べるものを自分たちで育てるという、人が生きる基本と関わっているので、ちゃんと根付くことができるようです。

 このガーデンにエミナとナダという二人の少女がいます。エミナはボスニアク、ナダはセルビア人で、別々の居住区に住んでいます。この庭がなかったら出会うことのなかった二人ですが、大の仲良しです。大塚さんは、そんなエミナに「もう二度と戦争が起きないためにはどうすればいいと思う?」と質問をしました。するとエミナは、「ナダと戦うなんて考えられない。みんな友達になればいいんだよ!」と答えたそうです。子供たちは本当のことが分かっている。このような子供たちが交流できる場を作っていことが本当に大切だ、というお話でした。

 首都サラエボの北のほうに、ツズラという町があります。そこには、戦争によってPTSDなど心を病んでしまった人々のためのコミュニティ・ガーデンがあります。この活動を始めた人は元兵士で、負傷して除隊したあと、PTSDを発症しました。外には出られず、家の中ですら、妻の助けがないと一人でトイレにも行けない状態になってしまったそうです。その人は幸い家族のサポートがあり、治療を受けることができました。回復した後、心に傷を負った人たちが、戸外に出て緑に触れることができる安全な場所、PTSDからの回復を手助けする場が欲しいと思い、ガーデンでのワークセラピーの活動を始めたそうです。利用者は「ここに来ると落ち着く、ここにきた時だけ人に会いたいと思える」といっています。

■今なぜ、ボスニアの話をするのか

 大塚さんは、日本とボスニアは、心理的にも距離的にも離れているけれど、実際に現地に滞在してみて、ボスニアの戦争は人事ではない、と感じたそうです。ボスニアで戦争が起こった原因の一つに、“やらなければやられる”という恐怖をメディアや政治家が煽ったということが挙げられます。普通の人たちに聞くと、「なぜ、戦争が始まったのだろう」、「気がついたら戦争が始まっていた」という答えばかりが返ってくるそうです。普通の人たちは、誰も戦争なんかしたくなかったのです。

 今の日本でも、自分と他人を分け、自分と違う価値観やライフスタイルを持つ他人をひとくくりにし、排除しようとする傾向があるのではないか、と大塚さんは言います。他人を“彼ら”とひとくくりにし、集団としてみるのではなく、名前のある個人として一人ひとりを見つめていかなければ間違った方向にすすんでしまう。個人が集団に埋没したとき戦争の危険が増大することは、ボスニアの例が示している。ボスニアの戦争から日本の私たちが学べることはたくさんあります。

■質疑応答

Q:コミュニティー・ガーデンはアメリカの団体の援助だが、彼らはどれぐらいかかわっているのですか?

A:作ったのはアメリカの団体ですが、資金や庭を作るツールを提供したあとは、現地の人が中心になって管理、運営を行っています。私はそれがよかったのではないかと思っています。ツールも、もしトラクターなどを与えていたら、人々が総出で耕す作業などが失われ、今のようなガーデンにはならなかったのではないでしょうか。援助のあり方を考えさせられます。

■感想

 私は、今回の大塚さんの話を聞いて初めてボスニアで起こったことを知りました。世界で起こっていることに無関心だということに改めて気づかされ、ショックを受けました。

 印象的だったのが、「スレブレニッツァの虐殺で家族を殺されたあるボスニアクの女性が、セルビア人全体を憎む代わりに、『彼』『あいつ』という一人の架空の人間を作り上げ、その人物に怒りをぶつけていた」という話でした。

 戦争を乗り越えて、平和へと一歩ずつ進んでいくボスニアの人々が感じたこと、伝えていることを、私も伝えていきたいと思いました。

                 報告者:NPO birthスタッフ 小辻綾乃